旬の方からご紹介。
昨日、アーセナルが来日して、名古屋グランパスと対戦しました。そのアーセナルの監督さんが、アーセン・ベンゲルです。
1949年生まれ。フランスのサッカー監督。
1995年に、名古屋グランパスの監督に招聘されました。当時、グランパスは、ストイコビッチというスーパースターを擁しながらも、不振に喘いでいました。そんなグランパスを立て直したのが、ベンゲル監督。
ベンゲルさんが来た時から、地元紙では大騒ぎ。当時、それほどサッカーを知らず、およそ詳しくなかった私も、新聞に載った彼の写真を見て、何て知性的でハンサムな人なんだろう、と思ったものです。勿論、一目ぼれ(笑)。
ベンゲルさんは、グランパスの救世主となって、あれよあれよとチームを引き上げてくれました。そして、遂に天皇杯で優勝!お正月の歓喜でしたね。
ピクシーは、日本に来ても、彼の類まれなる能力を発揮できず(彼が秀ですぎていたんでしょう)苦しんでいましたが、ベンゲルが監督に来ると聞いた途端に、大喜びしたそうです。ピクシーの眼は確かでした。そして、ベンゲル監督を選んだチーム幹部の眼も確かでした。
ベンゲルさんは、Jリーグ名監督列伝に名を連ね、しかしながら、96年の秋にアーセナルに引き抜かれて去っていきました。悲しかったですね。正直なところ、彼が作り上げた新しいグランパスを、もっと見守って欲しかったです。その後のアーセナルが見事な黄金時代を築いたことはご存じのとおり。
彼は、日本に来る前から、モナコで優秀な若手を育てていました。私の大好きなエマニュエル・プティもそのひとり。プティが若かりし頃、やはりサッカー選手だった実のお兄さんが、試合中に亡くなるというショッキングな出来事がありました。もうサッカーをやめる、とまで思いつめたプティを、励まし再びピッチに戻したのがベンゲルさんだったと聞きます。だから、彼は恩人でもあるのです。
知性的なお顔は今もそのままです。ただ、イングランドに行ってから、随分お顔が険しくなったなあ、と思います。苦労も多いのでしょう。今でも日本では絶大な人気があり、代表監督候補を探すとき、必ずと言っていいほど、この人の名前が上がります。果たして、ベンゲルが再びゲスト以外で日本の土を踏むことがあるのでしょうか。
ところで、アーセンって英語読みだと思うんですが、フランス語読みでは、アルセーヌじゃないでしょうか??